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『萬葉集釋注7 巻第十三・巻第十四』伊藤博(集英社文庫)

『萬葉集釋注七 巻第十三・巻第十四』伊藤博(いとう・はく)(集英社文庫ヘリテージシリーズ)全10巻

2005年12月21日初版発行
647頁(本文582頁・注・解説・エッセイ)




収録作品(目次)

万葉集 巻第十三(3221~3347)
万葉集 巻第十四(3348~3577)

解説 万葉集解説七(三田誠司)
『万葉集』の中の人びと―私の愛する万葉集(小島ゆかり)


万葉集のすべての歌を訳し、それぞれの歌について解説をした本。
筆者の知る限り本書のような書籍はこれのみである。
全訳されたものは、ほかに『新版 万葉集 現代語訳付き』伊藤博(全4巻)と『万葉集 全訳注原文付』中西進(全4巻+別巻1)とがあるがそれらには、解説・評釈はない。

「これまでの万葉集の注釈書は、一首ごとに注解を加えることが一般的であった。だが、万葉歌には、前後の歌とともに歌群として味わうことによって、はじめて真価を表わす場合が少なくない」(本書p.3)との考えから注釈されている。

端正で達意の文章が心地よい。

注釈書は見開きページの上や下の何分の一を区切って、そこに小さい文字がびっしりと並んでいるものも珍しくないが、本書は注はうしろにまとめて、本文の文字は大きく行間は広く、読みやすい素晴らしい構成である。ページの下部隅に歌番号が付されているので番号が分かれば、目当ての歌を楽に探し出せるのも便利。

それから、第1巻から順に読まなくとも各巻単体でも分かるように配慮されているのもよい。

大部の本で読み通すのに時間がかかるが、万葉集のすべての歌を知りたい人には本書が最良である。
当然、研究する人は必読必携。

本書は評釈なので著者自身のエピソードや体験の記述は稀である。その数少ない著者の体験と絡めた解説がとても印象深い。

p.214~

百小竹の 三野の王 西の馬屋 立てて飼ふ駒 東の馬屋 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼へ 水こそば 汲みて飼へ 何しかも 葦毛の馬の いばえ立てつる(3327)

……
栄えいました三野王、我が王(おおきみ)が、西の馬屋、そこに立てて飼う駒、東の馬屋、そこに立てて飼う駒、草はどっさり取って食わせてあるのに、水はどっさり汲んで飲ませてあるのに、何でまあ、この葦毛の馬が、こんなにも鳴き立てるのか。
……
馬の声を通して主の死を悼む歌である。……
馬は人の心を知る。戦時中、筆者[引用者注:伊藤]の生家の馬が軍馬として召された。遠く峠を越えて、諏訪の茅野駅まで父が送って行く時、生家の前の坂道を下りきって、右へ曲がって姿の隠れてしまおうとする所で、馬は止まった。長い首を上下左右に跳ねて、ひひんと鳴いた。そしてどうしても動こうとしないのであった。坂の上で見送っていた人びとは、泣いた。その馬の名は亀石号。昭和十八年(1943)のこと。亀石号とはついにそのままの別れとなった。

p.515

赤駒が 門出をしつつ 出でかてに せしを見立てし 家の子らはも(3534)

……旅先で家妻を偲んでいる。
俺の乗る赤駒の門出、そう、馬の歩みのままに門出をした時に、出渋るのを旅立ちさせてくれた家の子、あの子はああ。
……
第二次大戦の初期、出征兵士が出で立つに際し、筆者の育った南信州の農村では、各戸に一頭は飼育する愛馬に乗って、門出をした。かれらは、村境まで馬に乗って見送られ、あとはバスで最寄りの駅に向かうのであったが、主人の心を知ってか、はたまた家族の心を汲み取ってか、門でたじろぎ、一歩をはかばかしく打ち出さぬ馬を、筆者は何回も見た。その一瞬、見送る人びとのざわめきに水が打たれるのであった。


[関連]
『萬葉集釋注七 巻第十三・巻第十四』伊藤博(1997・集英社)単行本

[参考]
『新版 万葉集 現代語訳付き』伊藤博(全4巻)

『万葉集 全訳注原文付』中西進(全4巻+別巻1)

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