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『萬葉集釋注4 巻第七・巻第八』伊藤博(集英社文庫)

『萬葉集釋注四 巻第七・巻第八』伊藤博(いとう・はく)(集英社文庫ヘリテージシリーズ)全10巻

2005年9月21日初版発行
765頁(本文483頁・注・解説・エッセイ)




収録作品(目次)

万葉集 巻第七(1068~1417)
万葉集 巻第八(1418~1663)

解説 万葉集解説四(三田誠司)
「玉葉」の万葉復興―私の愛する万葉集(篠弘)


万葉集のすべての歌を訳し、それぞれの歌について解説をした本。
筆者の知る限り本書のような書籍はこれのみである。
全訳されたものは、ほかに『新版 万葉集 現代語訳付き』伊藤博(全4巻)と『万葉集 全訳注原文付』中西進(全4巻+別巻1)とがあるがそれらには、解説・評釈はない。

「これまでの万葉集の注釈書は、一首ごとに注解を加えることが一般的であった。だが、万葉歌には、前後の歌とともに歌群として味わうことによって、はじめて真価を表わす場合が少なくない」(本書p.3)との考えから注釈されている。

端正で達意の文章が心地よい。

注釈書は見開きページの上や下の何分の一を区切って、そこに小さい文字がびっしりと並んでいるものも珍しくないが、本書は注はうしろにまとめて、本文の文字は大きく行間は広く、読みやすい素晴らしい構成である。ページの下部隅に歌番号が付されているので番号が分かれば、目当ての歌を楽に探し出せるのも便利。

それから、第1巻から順に読まなくとも各巻単体でも分かるように配慮されているのもよい。

大部の本で読み通すのに時間がかかるが、万葉集のすべての歌を知りたい人には本書が最良である。
当然、研究する人は必読必携。

本書は評釈なので著者自身のエピソードや体験の記述は稀である。その数少ない著者の体験と絡めた解説がとても印象深い。

p.247~

春日すら 田に立ち疲れ 君は悲しも 若草の 妻なき君し 田に立ち疲る(1285)

村人みんなが春山で遊ぶこんな日でさえも田に立ち働いて疲れ果ててさ、この君は何ともお傷わしいこと。かわいいお相手のいっこうに決まらぬお人が、こんな春山入りの日でさえ田に立ち働いて疲れ果てているわい。

「春日」は……農事を休んで山や野に出て村を挙げて遊ぶ春のある一日を意味するのがここの「春日」だという考え……である。今、この説による。
筆者が幼童時代を送った信州高遠の農村にも、春秋にこのような日があった。男女の青年衆が村祭りを取りしきり、かれらは鎮守の森に設けられた舞台で数々の芝居を演じた。村から外(よそ)に出た者もほとんど帰ってきて、人びとはこの一日を楽しんだ。わざわざ春山に入っての遊びではなかったけれども、これは春山入りなどの名残にちがいない。

このような日でも、ぼんやりと田畑で働く男の人をよく見かけた。その人は、村の娘たちからも相手にはされない、はじき出されたような形の人なので、村の行事に加わらずに、ぽつねんと田畑で働くことが許されたのである。……

今の一首を読むと、万葉の時代にもそんな男の人がいたのではないかと想像される。……農作の予祝行事である春山入りの歌垣の場で、相手のいない男をからかったのがこの旋頭歌ではなかったか。

p.478~

大伴家持の晩蝉(ひぐらし)の歌一首
隠りのみ 居ればいぶせみ 慰むと 出で立ち聞けば 来鳴くひぐらし(1479)

家にひきこもってばかりいると気がふさぐので、気晴らしに外の出て耳を澄ますと、もうひぐらしが来て鳴いている。
……
ひぐらしの声は幼い者の心にもしみこむようにせつなく鳴くもので、筆者[引用者注:伊藤]も、信州の寒村の夕刻に、人気のない空間を振わせて鳴くこの蝉の声に、つい涙を落した経験がいくたびかある。この蝉たちは、近くと遠くとで、一定の間を置きながら、呼びかわすように気高く鳴くのである。その時、かれらの鳴き声以外、宇宙に音がないのが不思議である。


[関連]
『萬葉集釋注三 巻第五・巻第六』伊藤博(1996・集英社)単行本

[参考]
『新版 万葉集 現代語訳付き』伊藤博(全4巻)

『万葉集 全訳注原文付』中西進(全4巻+別巻1)

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